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盛岡地方裁判所 昭和33年(行)26号 判決 1962年7月09日

原告 中村五郎 外一名

被告 北上市教育委員会

主文

原告らの訴を却下する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

一、原告ら訴訟代理人は、被告が昭和三三年五月一九日なした北上市立二子中学校、北上市立更木中学校廃止及び北上市立北上北中学校設置の処分の存在しないことを確認する。仮りに右請求が認容されないとすれば右処分が無効であることを確認する。仮りに右各請求がいずれも認容されないとすれば右処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。旨の判決を求め、被告訴訟代理人は、原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。旨の判決を求めた。

二、原告ら訴訟代理人は請求の原因として次のとおり述べた。

(一)  被告教育委員会は地方教育行政の組織及び運営に関する法律第二条に基き設置せられ、同法第二三条によりその所管に属する北上市立小中学校の設置廃止に関する事項等につき権限を有する行政機関である。

被告委員会は昭和三三年五月一九日会議を開き、同月三一日を期日として北上市立二子中学校及び北上市立更木中学校を廃止する旨並びに同年六月一日を期日とし右両校の通学区域をもつて北上市立北上北中学校を二子町字秋子沢一三番地に設置する旨の議決をなし、これにより右各中学校の廃止設置の処分があつたものとしてその事実上の廃止設置の措置を実施した。

しかし被告教育委員会制定の公告式規則によれば、学校の廃止設置のような一般に公表を要する処分は北上市役所前の掲示場及び公衆の見易い場所に掲示してこれを告示すべきものであるに拘らず右議決についての告示はなされていないから右各中学校の廃止並びに設置処分は存在しないものである。

被告委員会事務局保管にかかる右議決の告示に関する関係書類はすべて後日同局職員により偽造されたものである。

(二)  仮りに右議決の告示がなされ、前記処分が存在するものであるとしても、右処分は次の如き重大且つ明白な瑕疵があり無効なものである。

(1)  被告は右告示を北上市役所前に掲示したのみで、右議決に利害関係を有する更木町所在の同市役所更木支所前に掲示しなかつたのは告示の方式が被告の公告式規則の規定に違反している。

(2)  告示の内容についても右議決は新設中学校名を北上市立北上北中学校と定めたものであるのにその告示はこれを北上市立北上中学校としてなされている。

(3)  さらに右告示によれば北上市立二子及び更木両中学校の廃止の日は昭和三三年五月三〇日、北上市立北上北中学校の新設の日は同年六月一日とされているから、これによればその間の同年五月三一日には原告ら子弟の通学すべき中学校は存在しなかつたものである。一日たりとも更木、二子の両学区からその学令生徒の通学すべき中学校を全廃した右の如き処分は右地域の住民たる原告らの後記権利を侵害するものであるから違法である。

(4)  原告中村の子訴外中村礼子は昭和一八年九月三日生れの満一八歳で本件処分当時前記更木中学校二年に在学していた者、同原告の子訴外中村節子は昭和二一年六月三日生れの満一六歳で現に北上北中学校三年に在学する者であり、原告福地の子訴外福地利久は昭和一八年九月一二日生れの満一八歳で本件処分当時更木中学校二年に在学していた者、同原告の子訴外福地富雄は昭和二四年一月二五日生れの満一三歳で北上北中学校一年に在学する者であつて、原告らはそれぞれその子である右訴外人らの保護者として学校教育法第三九条、憲法第二六条第二項の趣旨により北上市に対し右訴外人らを同市設置にかかる中学校に就学させ、これに義務教育を受けさせる権利を有している。

而して原告ら居住の北上市更木町はもと和賀郡更木村としてまた隣接する同市二子町はもと同郡二子村としてそれぞれ独立の一村をなしていたところ、昭和二九年四月一日右両村と和賀郡黒沢尻町等との合併により北上市が設置されてその区域に編入されたものである。

右両町には旧村以来それぞれの地域を学区とする更木、二子両中学校が設置され、各地域の学令生徒の保護者らはその生徒を自己の居住する地域の中学校に通学させてきたものである。

しかるに被告委員会は合併後間もなく右両校を統合して一単位の新学校を設置しようと企てた。これを知つた更木町民らはこぞつて統合の趣旨に賛意を表しつつも、それでなくても容易でない一部町内僻地の生徒らの通学が統合により不可能に陥らないよう、新学校が更木町内に設置されることを熱望した。そこで同町民らは昭和二九年中から一致結束して住民代表を挙げ、右要望の実現を期してあるいは関係当局への陳情や二子町民らとの交渉に、あるいは更木町内の校地の候補地の物色にと種々運動に努めてきた。

その結果、三一年二月頃更木町内には適当な校地の候補地もないところから、被告は更木町民らの納得しない統合は行わない旨を言明して両校はそれぞれ独立校として存置することが明らかにされ、当時老朽して改築の必要に迫られていた二子中学校の校舎も独立校として改築が行われたので、同町民らはこれで統合問題は解決したものと解して愁眉を開いたのであつた。

ところが被告は右校舎の改築にあたつて、国から、その経費の補助を、自らこれをもつて統合校とする旨を申告して受けていた事実があつたため、昭和三三年三月頃岩手県教育庁から、被告の不統合の方針が国の補助金交付の条件に違反する点を追求されるや、にわかにその態度を変えて、更木町民らの熱望と地域の実情を全く無視する前記決議をしたのである。しかし、原告らの外更木町内の臥牛、外山部落の学令生徒が二子町秋子沢所在の北上北中学校に通学することは絶対に不可能である。

すなわち臥牛、外山部落から同校までは九キロメートルを超える距離があり、これを原告らの子についてみても原告中村の子らは更木町外山の同原告方から前記中学校まで約八、六七五メートルの道程であり、原告福地の子らは更木町臥牛の同原告方から約六、五〇〇メートルの道程である。右の距離自体義務教育諸学校施設費国庫負担法及び同法施行令第三条第一項第二号により中学校の適正規模の条件として定められている概ね六キロメートル以内の通学距離より著しく遠くこれに反するものであるが、しかもその通学径路はその中途に迂余曲折の峠道があつて所々に断崖が迫り、路肩はもろく大雨があれば必ず決潰して交通の杜絶する悪路である。のみならず、この間にバスはあるけれども、冬季は降雪のため運行中止となり専ら徒歩による以外に交通のすべがない日が少なくない。このため右道路はバス会社も定期バスの路線としては全然顧みなかつたものであるが、昭和三一年一月更木町民らの要請を容れた花巻バス株式会社が右道路を経由する北上市、和賀郡東和町間のバス路線を一日三往復運行するに至つたものの、これとて降雨による道路決潰のため運行中止を見ることしきりである。現に昭和三二年八月大雨の際にも途中の峠が二ケ所において決潰したため運行中止となり、その後昭和三三年一月開通したが、同年八月の大雨で再び決潰した。かかる状況であるから北上北中学校への通学は積雪期は絶対不可能であるし、右以外の時期においても至難である。もつとも現在原告らは右子女を多大の犠牲を払つてバスにより新設中学校へ通学させているもののその発着時刻は不便を極め、朝は始業一時間前には学校に到着し始業までの約一時間の空費を余儀なくされ、下校時には学校における進学指導を犠牲にして帰宅するか、帰宅の時刻を遅くらせて家庭における勉学を妨げられるかの不便を忍んでいるものである。被告は現在右訴外人らの新中学校への通学を強行させるため臥牛、外山部落生徒全員のバス通学の経費を自ら負担しているが、その総額は年間一〇〇万円にも上り、貧弱な北上市財政の堪え得るところではない。このように、臥牛、外山部落の生徒らはがんらい前記のような通学路の距離状況からいつて不可能な通学を無理を忍んで続けている結果として通学それ自体にいたずらに心身を労しているありさまであつて、原告らの憂慮に堪えないところである。

これを要するに被告のなした本件中学校廃止及び設置の措置または処分は前記原告らの子女をはじめ臥牛、外山部落の学令生徒らの通学事情を考慮しないでなされた結果その教育に重大な支障を生ぜしめ、原告らの有する、右子女を中学校に就学させこれに完全な義務教育を受けさせる前示権利を侵害したものである。なお更木町臥牛部落に居住し右訴外人と同様の通学事情にある学令生徒は他に二一名ある。

(三)  仮りに本件処分に存する前記瑕疵が重大且つ明白なものでないとすれば、前記瑕疵を理由として本件中学校廃止及び設置処分の取消を求める。

三、被告訴訟代理人は、本案前の主張として、原告らが当初本件訴状において被告が昭和三三年五月一九日なした北上市立二子、更木両中学校の廃止北上市立北上北中学校の設置処分の取消またはその無効確認を求めながら、その後右処分の存在しないことの確認の請求を第一次の請求として追加したのは請求の基礎の変更であるから、異議がある。と述べ、請求原因事実に対する答弁として次のとおり述べた。

原告主張の(一)の事実につき、被告が本件中学校廃止及び設置につきなした議決の告示をしなかつたとの点を否認し、爾余の部分は認める、即ち被告は右の議決の内容を昭和三三年五月一九日北上市役所前に掲示して告示し、かつ本件については特に議決の趣旨を周知させる必要を認めて公衆の見易い場所への掲示に代え右告示と同一内容の事項を記載した「北上北中学校学区の皆様へ」と題する書面を更木、二子両中学校学区の各世帯へ配付した。

(二)の(1)ないし(3)の事実は否認する。即ち昭和三三年五月三一日をもつて北上市立二子、更木両中学校を廃止し、同年六月一日をもつて北上市立北上北中学校を設置する旨の告示を適式になしたものである。もつとも被告委員会保存の告示案には係員が右廃止の日を誤つて昭和三三年五月三〇日と記したので後日右の誤記を訂正した。(4)については原告ら子女の通学距離のうちバス利用部分は約六キロメートルである、他の部分は認める。原告らの挙示する義務教育諸学校施設費国庫負担法施行令の規定にいう学校の適正規模の条件は国が義務教育諸学校施設費国庫負担法に基き公立学校施設についての国庫負担を決定する場合の負担金交付の基準として定めたものにすぎず、しかも同令は本件処分当時未だ施行されていなかつたものである。原告らの住所より新設中学校に至る道路の模様、交通の状況、前記処分により原告ら子女の中学校への通学が不能ないし至難になつたとの主張は争う、臥牛部落より新設中学校への通学生徒数が二一名であることは認める。

被告は本件処分により通学に不便を感ずる生徒に対しては被告において経費を負担して次のとおりバス利用による通学の便を講じている。すなわち昭和三三年度においては被告は原告らの子女たちを含む臥牛地区の生徒らと更木町内の身体虚弱生徒らのため花巻バス株式会社と契約して臨時貸切バスを運行するとともに定期乗車券を購入してこれらの生徒らに交付し、昭和三四年度においては被告は同会社に対し生徒らのバス通学に便利なように同年四月以降の定期バス運行時刻の改正方を申入れると同時に北上北中学校の始業終業時刻を調整し、その結果定期バスだけで生徒の通学にさしたる支障を来さなくなつたので臨時貸切バスの運行を中止した。もともと従来から臥牛部落の中学生は併設の更木小学校に通学する四年生以上の小学生とともに更木中学校まで徒歩通学をしていたもので冬期間といえどもこの例にもれなかつた。それ故、原告中村の子らが新設中学校へ通学するに通行する、自宅から臥牛バス停留所まで約二キロメートルの徒歩区間は小学校一年生の時から変りがなく、その他はこの停留所から乗車して一六分で下車後は約五〇〇メートルの徒歩区間があるだけであるから、従前更木小学校まで約六、〇〇〇メートルの道程(県道へ出る場合近道を歩いたとしても約五、二〇〇メートル)を徒歩で通学していた場合に比して時間的にも肉体的にもその負担は甚しく軽減されたものである。又原告福地の子らの場合もバス停留所まではわずか五分の歩行で足り、爾余の部分は前記バスを利用するものであるから従来に比して却つて便利になつたことは原告中村の子の場合と同様である。原告らはバス通学が生徒の健康並びに学習に甚大な悪影響を及ぼしているごとく主張するが、北上北中学校では統合後における教科学習やクラブ活動は統合前と変らない時間数をとりながらバスの発着時刻と正規の指導の開始終了時刻との間には夫々適当な時間的間隔を置くことによりバス通学による学習上の制約を全く受けないよう配慮されており、又健康上の問題については、バス通学によつて通学所要時間はむしろ減少したばかりでなく、バス通学による登下校の時間的制約を善用して生活に節度をつければ却つて健康を増進することが出来るのであつて、同校の現状を見てもバス通学が原因で疲労のため又は病気に罹つて欠席したと認められる生徒はないのであるから、原告の主張は杞憂である。むしろ本件統合により統合前にみられた小規模学校特有の弊である各教員の担任教科数の多いこと、教員の免許教科と担当教科の不一致などの現象が改善され、教員の指導力が充実した結果として生徒の学習意欲は向上し、教育効果はいつそうあがつている。

(証拠省略)

理由

原告らは当初、本件訴状において被告が昭和三三年五月一九日なした北上市立二子中学校、同更木中学校の廃止及び北上市立北上北中学校の設置処分を取消す、仮りに然らずとすれば右処分の無効であることを確認する、との判決を求めたが、その後昭和三三年一二月一九日付訴変更の申立書をもつて右訴を変更し、右処分の存在しないことを確認する旨の請求を第一次の請求として追加する冒頭記載のような請求にあらためたことは、本件記録により明らかであるが、右訴において本件処分の不存在と言い或いはその無効ないし取消と言うもその請求の目的はいずれも原告らがその子女をして旧来の更木中学校に就学させ得る権利あることを確定し、これに対する侵害を除去するにあるから、請求の基礎には変更がないと解されるので、原告らの前記訴の変更はこれを許容すべきものである。

しかし以上の各請求につき原告らが果して本件訴の当事者たるの適格を有するものであるか否かにつき疑があるから、職権をもつて判断する。原告はこの点につき被告委員会の本件措置または処分は、原告らの有する、その子女を中学校に就学させる権利を侵害するものであるとして、これをもつて本件各請求の原告適格を理由づけるのである。思うに、保護者がその子女をして小中学校等の義務教育諸学校に就学させる義務あることは、学校教育法第二二条、第三九条に規定するところであるが、憲法第二六条第二項、教育基本法第三条、第四条、学校教育法第四〇条、第二九条、地方自治法第一〇条第二項等の諸規定の趣旨にかんがみると、右規定は同時に子女の就学を保護者の権利とする趣旨を包含し、同条の保護者たる者はその属する市町村が設置する小中学校に子女を就学させてかゝる営造物を利用する権利を有するものと解すべきである。したがつて、市町村は本来現行法上は国に対し小中学校を設置する義務を負うのみで、その住民に対する関係においては右学校の設置または廃止につきなんらの法律上の拘束を受けないものであるけれども、例えば市町村が既存の小中学校を廃止してこれに代る学校を設置しないとき、または、市町村の設置にかかる小中学校が学区内の学令児童生徒の全員を収容するに足る規模を備えずもしくは通学距離が遠隔に過ぎるためその通学が事実上不能である等の事由により多数の住民がその保護する子女の就学を不能または著しく困難にされたときのように、右学校の設置、廃止の処分が保護者の前示権利を侵害した場合においては、その保護者は、場合により、かかる処分に対する取消ないし無効確認訴訟を提起してその処分の是正を求め得るものといわねばならない。

そこで本件を見るに、被告委員会が昭和三三年五月一九日会議を開き、同月三一日を期日として北上市更木町を学区とする北上市立更木中学校及び同市二子町を学区とする同市立二子中学校を各廃止し、同年六月一日を期日として右両町を学区とする同市立北上北中学校を同市二子町秋子沢一三番地に設置する旨議決して、その頃右各学校の廃止設置の措置を実施したことは、本件弁論の全趣旨により明らかである。

原告らは被告委員会が右議決の趣旨を告示するにあたつて、更木町を学区とする更木中学校廃止の期日を右議決において定めた廃止の日より一日早い昭和三三年五月三〇日とし、これに代る新学校である北上北中学校設置の期日のみを右議決どおりの同年六月一日として告示したから、右廃止設置の処分はこの告示にしたがつてその効力を生じて右両日の中間の日である同年五月三一日には更木町民の保護する子女の通学すべき中学校は存在しなかつたことになり、同町民たる原告らはその子女を就学させ得る前記権利を侵害された旨主張する。しかし、過去におけるわずか一日の権利侵害はその影響が現在まで引続いているとの特段の事実がない限りそれ自体では現在における権利侵害とはなり得ないばかりでなく、仮りにそのような事実があつたとしても、前示議決の趣旨からすると、それは全く被告の告示手続上の誤りに過ぎず、実際において同被告がした更木中学校廃止の措置は右議決の趣旨に従い同年五月三一日を期日として実施されたことは弁論の全趣旨から窺い得るところであつて、同中学校は五月三一日にはいまだ実在していたことを推認できるから、右の原告主張は採用できない。

次に、原告らは被告が右更木中学校を廃止しながら、これに代る北上北中学校をその保護する子女の通学不能の場所に設置して原告らの前記権利を侵害した旨主張するから、この点を検討するに、検証結果(第一回)によれば、次の事実を認定することができる。

旧更木中学校は北上川岸に接する更木町にあつて、その校舎は、更木町を貫通して二子町に通じる県道に面して位置していたものであり、一方、北上北中学校は更木町とは北上川を隔てゝ相対する二子町秋子沢にあつて、その校舎は右の県道から約五〇〇メートル入りこんだ地点に建てられ、両校の間の距離は右の県道経由の通常の径路にしたがつて約二、六〇〇メートルである。原告中村の居住する更木町外山及び原告福地の居住する同町臥牛は、いずれも更木中学校の東北方約四、五〇〇メートルの山間にある小部落であつて、臥牛部落は両校との間を右県道を通じて結ばれ、外山部落は約二、一〇〇メートルの長さの山道によつてこの県道に続いている。そして原告福地の子が臥牛の居宅から更木中学校に通学した道程は右の県道経由の通常の径路にしたがつて約四、〇二〇メートル、北上北中学校に通学する道程は更木中学校前からさらに右県道を進む通常の径路にしたがつて約六、六二〇メートルであり、原告中村の子が外山の居宅から更木中学校に通学した道程は右の山道から県道を経由する通常の径路にしたがつて約五、九〇〇メートル、北上北中学校までは約八、五〇〇メートルである。右の各径路の状況は全体としては普通の田舎道であつて、格別悪路というべきものではない。たゞ、原告中村の子らの通学路にあたる前記の山道は二キロメートルの間にわずかに人家一軒を見るだけのさみしい山あいの小径で、日没後は女子や年少者の通行の好ましくない箇所であり、また原告らの子をはじめ外山、臥牛部落の生徒ら全員の通学路にあたつている臥牛部落の外れから更木中学校に向つて約一、〇〇〇メートルの間の県道は、曲折する下り勾配で、途中には検証当時三ケ所において道路沿いの崖崩れを起した跡が見受けられ、その実際の危険度はともかくとして、降雨降雪期の通行者には一抹の不安をいだかせるに足る箇所である。もつとも、これらはいずれも前示の通常の通学径路によれば、外山、臥牛部落と更木中学校までの間に存在するものであるから、原告らの子が更木中学校に通学するにも通行していた箇所である。

そこで以上の事実に、証人佐藤壬子郎の証言を考え合わせると、前示のような通学径路の距離及び状況からいつて、原告らの子が新中学校に通学することは、徒歩による限り、季節を問わずかなりの無理を伴うことを免れず、これを強行することはかえつて学習の目的を阻害して適当でないことは明らかであり、さらにこの事実に、当裁判所に顕著な同地方は積雪地帯であること及び降雪または積雪中の徒歩が一般に比較的困難な事実を考え合わせると、積雪期においては北上北中学校への徒歩通学はさらに困難の度を加えることは否定できない。しかし、これ以上に、同校への原告らの子の徒歩通学が全く不能であるとか著しく困難であるとの原告主張事実は、右の積雪期を含めて、いまだこれを認めるに足りないのである。

しかも、右の通学路は前示の勾配や冬季には積雪に妨げられるため自転車により往復することも困難な状況にあるけれども、証人福地淳、菊地啓次郎、佐々木修の各証言によると、そのうちの前示県道の部分は、年間を通じて、一日三往復の花巻バス株式会社運行のバスの便があり、その発着時刻が授業等の開始終了時刻に一致しない不便と、冬季において一週間ないし一〇日程度の降雪による運行中止を見る不都合を忍べば、バス利用による通学の途が残されていること、及び被告委員会は本件学校の統合にあたつては更木町民らの申入れにより新設学校を二子町寄りの更木町内に設置することを一応検討したが、適当な校地の候補地が見当らなかつたところから、統合実施後は、これにより通学難に陥る臥牛、外山部落らの学令生徒らのため、通学難の軽減策として、あるいは、いずれも同委員会において経費を負担して、一時花巻バス株式会社に委託して一日一回帰宅時の生徒専用のバスを運行させ、または新中学校までの通学バスを購入して右各部落の生徒らに使用させ、あるいは右の生徒らのバス通学に便利なようにバスの運行時刻の改正方を同会社に申入れて一部の改正を実現させるなど、種々努力を払つてきた事実が認められる。

そうだとすれば、原告らの子の新中学校への通学は季節により徒歩によることが困難な場合があるとしても、バス利用による通学は一年間を通して十分に可能であるといわねばならない。原告らは右路線のバスは沿道の崖崩れや冬季の積雪により運行中止を見ることが多いため通学の用に堪えないごとく主張するが、このような事実を認めるに足る証拠はないし、また被告が同部落の生徒らのバス通学に対する経費を自ら負担することが北上市の財政事情から不利また困難であるとしても、現に被告においてこれを負担している以上かかる事実は右認定になんらの影響を及ぼすものではない。

してみると、以上に認定した事実をそう合して本件措置または処分により原告らの子の北上北中学校への通学が更木中学校への通学に比して困難の度を増したことは否めないが、いまだ不能または著しく困難になつたものということはできないから、これを前提とする原告らの前記権利侵害の主張は採用し得ないものである。

よつて本訴各請求については、原告らはいずれも原告適格を欠くものであるから、これをすべて却下することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九三条により主文のとおり判決する。

(裁判官 須藤貢 中原恒雄 金田育三)

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